
日本語教育グローバルネットワークプロジェクト
CAJLEのGNプロジェクトでは、日本語や日本語話者の多様性への意識を広げるため「セカイの日本語〜みんなの声〜」(https://sekainonihongo.com/) というウェブアーカイブで様々な日本語話者の声を届けています。
ワークショップ報告(2023年8月)
林 寿子・柴田智子
8月18日モントリオールでのCAJLE2023年次大会にて、「セカイの日本語〜みんなの声〜:日本語使用者の多様な言語、文化、社会的経験に対する理解と実践への応用」と題する公開ワークショップを開催しました。今回のワークショップはハイブリッド方式とし、遠隔地からもZoomにて参加できるようにしたところ、参加者は合わせて約60人が集まりました。対面・オンラインそれぞれで日本語及び日本語教育に関わっている国や立場を超えた活発な意見交換が行われ、充実した時間となりました。まず、私たちのプロジェクト「セカイの日本語〜みんなの声〜」のHPに掲載されている様々な言語的背景や経験を持つ日本語使用者のインタビュー(https://sekainonihongo.com/resource/)を通して、教室や家庭といった場所での日本語の多様性について考える私たちの取り組みについて2つの実践報告を行いました。
1つ目は、日本で短期ホームステイ・日本語研修プログラムに参加していた大学生に対する実践で、彼らが日本滞在中どのような日本語に出会ったか、そしてそれがコミュニケーションにどう影響したか考えてもらいました。さらにプロジェクトが紹介するインタビューの内容とも関連付けて話し合いをさせ、実際に日本語の多様性を感じ取ってもらいました。
2つ目の実践として、カナダのオタワで日本語を使って子育てをしている保護者を対象に、各々家庭や日本語学校など、子供の周りの日本語環境について振り返り、言語、文化、社会経験の観点から話し合いました。多様性と子供達の未来についての悩みや希望を共有することが、保護者同士の日本語での子育ての励ましにもなり得るということが分かりました。
これらの実践報告の後、参加者は小グループで自身の日本語教育、その環境や多様性について振り返りながら、それぞれの現場での経験を共有する形で話し合いの時間を持ちました。ワークショップの最後には、対面会場のいくつかのグループの代表者にグループで出た意見をまとめて発表していただきました。
小グループの話し合いでは、多様な日本語を認識しながら日本語学習を応援するには、コミュニケーションが円滑にできるような環境を作ることではないかという意見が出されたり、そもそも多様な日本語とは何かという点が多方向から話し合われたり、様々な、意見交換が見受けられました。特に、多様な日本語とは方言や話し方といった言語的な側面だけではなく、話者自身の持つ価値観など、個人的な文化、政治的視点も含まれているのではないだろうかという意見も発表されました。
これらの多様性自体の理解に留まらず、他者と認識を共有する機会や社会全体からの取り組みの必要性など、実践の視点についても参加者の間で関心が広がったようで有意義な時間となりました。
連載「セカイの日本語〜わたしの声〜」(全5回)
この5回に渡るシリーズでは、プロジェクトに関わっている私たちメンバーが、プロジェクトで感じたこと、気づいたこと、考えたことなどを振り返り読者の皆様と共有の場を設けたいと考えています。 |
第5回 「セカイの日本語〜みんなの声〜」で教師である「わたし」を考える
米本 和弘(東京学芸大学)
「中途半端」。この言葉は子どもの頃から多言語環境で育ったあやさんとゆうこさんが、本プロジェクトのインタビューの中で自分自身や自分の言語を表現するのに使っていた言葉です。そして、私自身が20年前に日本語指導ボランティアとして関わった中学生が、同様に自分の言語を表現するために使っていた言葉でもあります。彼は、中国語と日本語と英語ができても3つとも全て中途半端だと言っていました。全く異なる時と場所で生まれ育った3人が同じ言葉を使っていたのです。
なぜこの3人は自分の言語を中途半端だと思ってしまったのでしょうか。この疑問について考えたとき、私の担当する年少者日本語教育に関するコースを受講している留学生が、ちょうど先週の授業で言っていたことを思い出しました。彼女は、生まれた時からその言語をネイティブのように話し、操ることができなければ「話せる」とは言えないと言っていました。そこから、私たちが言うネイティブ/〇〇人とは誰なのか、ネイティブとはどんな言語を話しているのかを、日本人の学生も含めてクラス全体でディスカッションしました。その中では私たちが日頃何気なく使っているネイティブや〇〇人、バイリンガルといった言葉の裏側にある政治性や価値観、そして多様な日本語使用者へ与える影響に対する気づきがあったようです。
一方で、多様性を自分から切り離して、外側から見ているような声も聞こえてきました。ただ、これは学生に限ったことではないかもしれません。私自身、日本語や日本語使用者の多様性に対する意識を広げたいと考え、このプロジェクトに取り組んできました。しかしながら、上の留学生の言葉を聞き、普段の授業の中で、私が学生たちの持っている意識をより強固なものにしてしまっていたのかもしれないと感じました。私たちは教える対象として日本語やその多様性を見ることが多く、自分自身がその一部であり、それを作っている一人であるということを忘れがちなのかもしれません。そして、この経験を通して、ある見方や考え方があまりにも自分にとって当たり前であるがあまり、気づいたり、ふり返ったりすることが難しいと、つくづくと感じました。
この点で、多様な日本語使用者の声に耳を傾けることは、自分の考えや見方をふり返るきっかけを与えてくれたように感じています。日本の学校教育では「学び続ける教師」であることの重要性が指摘されていますが、私も学び続けると同時に他者の声に耳を傾け、ふり返り続けられる教師でありたいと考えています。
追記:今後もまだまだ新しいインタビューを「セカイの日本語〜みんなの声〜」ウェブページに掲載していく予定です。ぜひご覧ください。
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